14:47 D君(「枠から外れた人」ふと、この言葉が心に浮かんだ。、、、、そうだ、この世の中には、少しだけどこのタイプの人がいる。後のほとんどの人は枠の中に収まっている。
でも、大多数の人が収まっていることは、間違っていることが多い。なのに多数決でわかるよう、多数いる人の方が正しいという変なことになっている。どうして、大多数の人が収まっていることが間違っていることが多い、かと言うと、それらの人は物事をよく考えない人たちが多い。ただ、みんなに合わせて行けば仲間外れにならなくて済むから。という
なんとも自分がない、意思がない、情けない、弱弱しい人になっていることにすら本人は気づいていない。そんなに一匹オオカミになるのが嫌なのか?、、、、クリスチャンの中にもこの二種類のタイプの人がいる。片方は「枠の中に収まったクリスチャン」。これらの大多数のクリスチャンは教会の中(枠の中)に収まっているから、一見正常な人に見える。だが
、神様の目から見たら(聖書の御言葉から見たら)、枠から外れたクリスチャンの方が正しい。いわゆるクリスチャンが普通に言っていることが間違っていることがある。それは例えば、牧師に対して大多数のクリスチャンは先生と言うが、これはマタイによる福音書23-8に
よると不正解。なのにほとんどのクリスチャンは、それは不正解ですとは言わない。神様はそれを見てどう思うだろうか?、、、、その中に一人だけ「それは不正解です。聖書にはこう書いてあります。」と声を上げる人がいた。神様はこの人を見て「にっこり笑い」特別、大事にしてくれると思います。人の関心より神様に好かれる方を選んだからです。
つづく
9.40(木)9:41 D君(この世の中で起きていることは、すべてリスクを取ってリターンの
大きい方を取るか、リスクを嫌ってその代わりリターンの少ない方を取るかの二者択一だと思う。例えば結婚一つとっても、相手の全てを知らないで結婚するわけだから、これは一種のリスクかもしれない。でもいい方は変かもしれないが、当たりくじならリターンは大きい
。でも、過去に恋愛で傷ついた経験がある人は、結婚に臆病になり、「石橋を叩いて、叩いて、ついに壊してしまい、結局渡らない。」(これは恋愛に慎重になり過ぎて、相手がOK
サインを出しているにもかかわらず、相手のデートの誘いに応じないで、そのうち相手が諦めてしまう場合。)になってしまう。これだと自分は傷つくことはないかもしれないが、
結婚というリターンは決して得られない。つまりノーリスクノーリターンの人になる。おひとりさまはこのタイプが多いのだろう。過去に全然恋愛のチャンスがない人は、少ないと思う。でもその少ないチャンスでも、ギャンブルした人は結婚できたと思う。これは若いほど
、恋愛で失敗しても、次のチャンスにかけられるけど、年齢が30代、40代と上がれば上がるほど、慎重になり、石橋を叩いても渡らない人になり、とうとう相手も「この人は難攻不落
」だと思い、諦めてしまう。、、、、「結婚しないで後悔するより、結婚して後悔するほうが良い。」ということは本当だと思う。前者はずっと過去を後悔し続ける、が、後者は失敗をして二度と同じ後悔をしないように勉強し、前向きに生きられる。
(51) つづく
2/12(水)16:34 D君(今日は昨日の続き、ヤコブの手紙1章23節から書きます。)
1-23~ 「御言葉を聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分を眺めてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その
行ないによって祝福されます。自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌に轡(くつわ
)をかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教は空しいものです。父なる神
の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、寡(やもめ)たちが困っているときに世話をし
、この世から自分を清く守ることです。
(39) つづく