「異物混入」

 もし何か食べていて、鈍感な人なら異物が入っていても気が付かず、
そのまま食べてしまいます。しかし敏感な人なら異物に気が付き、
「何か変だな。」と思い、口から吐き出すでしょう。
 これは何かに似ていると思ったのは、救われてしばらくして聖書の事
が少し分かってきたころ、礼拝の賛美の時の 三つにまして一人の神
の歌詞が、どうも違和感があると言うか、異物が混入しているような
気持ちでした。その理由は創世記の「我々」という言葉です。これが
聖書理解の鍵です。神様は最初から三人いました。それが「あの説」
では神様は一人ということになっています。それで礼拝で、その歌の
「三つにまして一人の神」を聴くたびに嫌な気持ちになりました。
(ちょうど口の中に異物を入れられて、これも一緒に食べなさい、と
言われているようでした。)でも、それは異物(聖書的でないもの)
と知っていた私は、それ(「あの説」)を食べることを(受け入れる)
拒否しました。それは私が、ある程度、聖書を理解していたから、
これは聖書的、この事は聖書的でない、という区別ができたからです。
それができない人は、鈍感に何でも(異物でも)食べてしまいます。
 教会の礼拝の賛美だからといって、異物が混入していないとは限り
ません。