「AC313年以前の聖書理解の部屋」

 この部屋は以前書いた聖書理解の部屋ですが、少しだけ違います。
それは、この部屋の入口のドアにロックが掛かっていません。
ですから、この救いの家に入った人は廊下の突き当りにある聖書理解
の部屋に、自由に出入りできます。
 聖書の使徒の働き2章からAC313年までの時代は、この部屋のドア
にロックは掛かっていませんでした。聖霊様も自由に、この部屋に
出入りできました。
 ところがAC313年にアタナシウスが、聖書理解の部屋の入口のドア
に「あの説」という名のロックを掛けてしまいました。「あの説」は
聖霊様を三人のうちの一人の独立した一人の神様、野球チームで言えば
キャッチャーという大事なポジションを守る方、と言う尊敬の気持ち
がなく、ただ「三つにまして一人の神」という曖昧な人。一人の人と
認めない、そんなところに聖霊様は行きたいと思わなくなりました。
「あの説」と言うロックを掛けるということは、聖霊様を軽んじ一人
の人として認めないということです。もし自分が知っている人から
無視されて、全く自分の名前を呼んでくれないような場所に行きたい
でしょうか?聖霊様も、こうした場所に行きたく無くなり、その結果、
聖霊様の臨在がないような集会になってしまいました。でも「あの説」
がないアジアや南米は、聖霊様を一人の大事な方として歓迎しているので、
聖霊様の臨在があり、そこにリバイバルが起きています。反対に日本や
欧米では「あの説」によって聖霊様を、一人の大事な方として歓迎して
いないので、聖霊様の臨在がなく結果としてリバイバルは起こりません。
 だから使徒の働き2章からAC313年までの間は、よくリバイバルが
置きました。
 日本も「あの説」という聖霊様を悲しませる説を捨てれば、きっと
聖霊様は喜び、再び帰ってこられリバイバルが起こるでしょう。