暖かく無関心なホッとする人(P君)5823話

2024  2/3(土)18:25


D君 (全く理解できない。まさしく麻薬だ。牧師らは努めて聖書の御言葉にそった献身的な生き方をしているのに、信徒が「先生」と呼びかけると、満面の笑みを浮かべて 近寄る
。本当ならマタイによる福音書23ー8から「牧師を先生と呼びかけてはいけないと書いてありますから今度から先生以外の呼び名で呼んでください。」というのが正解回答なのに、
面倒なのか、心地いい響きなのか知りませんが訂正しない。良くないと知りながらもスルー
する。それは覚せい剤中毒者が目の前に覚せい剤が置いてあれば、悪いことだと知りながらも100%打つだろう。それに似て「先生」と呼びかけてくる信徒を注意しないで受け入れる
。するとどういうことが起きるかというと、その場にいた信徒は「牧師のことは先生と言わないといけない」と刷り込まれる。その後マタイによる福音書23-8を読んで混乱が生じる。
 イエス様は弟子たちに「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたは兄弟だからです。」と言いました。この御言葉
の意味を考えると、この御言葉は群衆と弟子たちに向かって発言した。言い方を変えれば
「私を信じる弟子の皆は他人から「先生」と呼ばれてはいけません。もし先生と呼ばれるのなら、そのときは私の弟子ではありません。あなたが先生なんでしょ?私は一切ノータッチ
、どんな問題があっても知りません。あなたが先生なんでしょ。何でも解決できるんでしょ
。」と言われているのに等しい。それなのに「先生」と呼びかけてくる信徒に対してマタイによる福音書23-8から、その理由を説明しないのは、もうすでに「先生」という名の麻薬
中毒に掛かっている可能性が大きい。もしまだ「先生」という名の麻薬の恐ろしさを知っているのなら、マタイによる福音書23-8から説明すると思う。
 今年になってから徐々に教会内の青年会のメンバーは、津田牧師のことを津田SLと言っている。かえって以前のように「津田先生」などと言おうものなら、他の青年会のメンバー
から冷たい視線が帰って来るのを知っているから、そんな愚かなことはしない。
問題は教会内の青年会以外の人たちだが、彼らは以前と変わらず「津田牧師」のことを
「津田先生」と呼んでいる。それもそうだ、僕のようにこのマタイによる福音書23章問題
を公にする人がまだいなかったからだ。でもそんな小さなことでも、放っておけば
パリサイ人らのように「自分たちは先生なんだ。特別偉い存在なんだ。」となって誰の言うことも聞かない困ったひとり様になってしまう。
 そうだ。妻リーナのパパにこの問題を話してみよう。
                                     つづく