暖かく無関心なホッとする人(P君)5766話(重要)

2/20(月)17:55 D君は、とても重大なことに急に気づいた。(クリスチャンの人は皆、
イエス様が私たちの罪の身代わりに、十字架に架かれて死んだことを知っている。でも、
十字架で死刑になるほどの罪があったにもかかわらず、その罪がどんな罪だったか知っているクリスチャンが、あまりにも少ない。結論から言うとイエス様には全く罪が無かった。
にもかかわらずユダヤの律法学者やパリサイ人は、イエス様に罪を作り上げ擦り付けた。
その罪が何かというと、出エジプト記20-3 「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々が
あってはならない。」という法律を犯して、御自分を神の子としたので断罪された。
その結果、ローマ帝国の死刑法、十字架刑に処せられた。だが、おかしいと思う。
この出エジプト記20-3をよく読んで見てほしい。そこには「ほかの神々があってはならない。」書いてある。では自分たちの神々はあってもいい事になる。つまり、もっと詳しく言えば、「あなたには、わたしと言う神々は在ってもいいが、それ以外の、ほかの神々はあってはならない。」と言いたかった。また創世記1-26では
「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。~」と書いてある。なので
人類(アダム)が造られる前から、神様は複数いたことになる。だからそのうちの一人が
イエス様だったとしても、少しもおかしくない。、、、、なのにユダヤの律法学者たちは
勝手に神様は唯一、一人の方だと決め込んでいる。これはなにか三位一体説のようで、
何とかして複数おられる神様を、一人にまとめ上げる、ローマカトリックから続く、
「三つにまして、一人の神」に似ている。なぜそこまでして創世記1-26をうやむやにするのか?今はローマ帝国の時代ではない。ローマ帝国、皇帝コンスタンティヌスが世界を支配
しているわけではない。なのにどうして彼がつくった反聖書的な説を大事にするのか理解
できない。イエス様が三位一体説を聞いたらどう思うだろうか。「わたしは父なる神とは
別の存在で、彼が考えていることをすべて知っているわけではない。どうして一人にまとめなければならないのだろうか?」と。
                                    つづく