暖かく無関心なホッとする人(P君)5754話(重要)

9:40  それをしたのが(三位一体説をローマカトリックの正当教義に持ち込んだのが。)ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス。彼はクリスチャンでも何でもなかった。彼の故郷エジプトのアレキサンドリアは太陽神信仰が盛んな地だった。太陽には
さわやかな朝日、日中の暑く眩しい日、幻想的なオレンジ色の夕日。でもそれは同じ一つの星。ここからローマ帝国もヒントを得て、罪を罰し赦さない厳格な父なる神様、優しく自己犠牲の精神に富んだ子なる神様(イエス様)、人間に寄り添いいつも手を差し伸べて下さる聖霊なる神様の三者は姿は
違うけれど同じ一つの神という事にしておこう。という何とも酷く軽い理由で決められてしまった。(こんなひどいことはないと議会で抗議した、聖書理解に富む純粋なクリスチャンのアリウスの意見は、無残にも却下された。)こうして残念なことに、三位一体説がローマ帝国のキリスト教国としての正当教義に制定されてしまった。(だが、あれから約1700年もたつのに、それまで誰もこのことをもう一度再考察してみよう、としなかったには訳があると思う。それは誰も「自分が異端者だとされたくないので、このことに疑問を感じていても、公に人前に出せなかったから。」でもおかしいと思う。原点が狂っているのに、それを修正
するだけなのに、そのことをSTOPさせようとする人の方が、真実を暴かれると困ったことになるという理由だけで、うやむやに闇に葬るのは、、、、。)
 こうして三位一体説は出来上がった。聖歌にも「三つにまして、ひとりの神」(聖なる
聖なる)という曲がある。聖歌になれば何でも聖書的か?というと、そうでもない曲がたまにある。(これはこの曲の作詞家が、あまり忠実に聖書を読んでないからだろう。)が、
聖歌になってしまえば、それがあたかも正しいことのように思ってしまう。
                                     つづく