暖かく無関心なホッとする人(P君)5746話

11/ 5(土)9:30 D君(しばらくの間、このブログを書くことを休んでいた。それは以前、感染したコロナがまだ完治していなかったので、また具合が悪くなったからではなく、ただ
単に自分を甘やかしていたことに気づいた。確かに、このブログを書くために、様々な歴史書を調べたりして大変だったが、それはマラソンで走り続け疲れるが、最後のゴールインを
目指して、苦しくても走り続けなければいけないことを思い出した。少し考えたら競輪競技場は、そのトラックが普通の自転車のようにノロノロ走ることができないほど、急斜面に
なっている、が、競輪選手はそこを猛スピードで走るから、重力に 負けず、走りぬくことができる。ちょっと考えてみた。これはマタイによる福音書25章に出てくる、愚かな5人の
乙女と思慮深い5人の乙女のたとえ話に通じるところがあると思った。確かに思慮深い乙女のように、いつ帰って来るかわからない無駄になるかもしれない灯油を、用意しておく時間と労力を費やすより、その日のストレス発散に心が奪われるかもしれない。でも書かなければ寝てしまう愚かな乙女になってしまう。
 マラソンと同じでこの信仰のレースはゴールインしなければ意味が無い。苦しくても走り続けていればいつかゴールテープが見えてくる。それはマタイによる福音書7章に出てくる「狭い門」と同じだと思う。そこにはこう書いてある。「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。(マタイ7-14)」また7章の終わりには岩の土台と砂の土台の家のたとえ話が書いてある。岩の土台は硬くて、そうやすやすと刻むことができない、それは毎日が苦労の連続。でも自分はそんな人でありたい。
                                     つづく