暖かく無関心なホッとする人(P君)5102話

7:45 D君(イエス様の弟子ペテロとヨハネの違いを考えていた。ーーーーペテロは自分の強さ(肉体的にも精神的にも)に自信を持っていた。ゲッセマネの園でイエス様が捕らえられた後、他の弟子たちは自分たちも捕らえられると思ったのか?皆その場から逃げてしまった。(ヨハネだけは密かにイエス様について行った。)しかし、ペテロは逃げずに後から
ついて行った。ここまでは最後の晩餐の席でイエス様と約束したことを守っていた。ーーー
だがそのあと焚火に当たっているとき、3回も「イエス様を知らない。」と否定してしまった。ーーーーどうして彼の確信が崩れてしまったのか?ーーーーそれは彼の「確信」が、
「確信している。」ではなくて、「確信する。」だったからだと思う。「確信する。」は
周囲の状況によって変化してしまう。「確信する」は自分本位のことで、対象の人がどんな
人か良く知らなくても、信用したければ信用できるし、信用したくなければ信用できない。
と、ペテロはイエス様に対し、自分本位でイエス様の事を深く知らないのに、ただ自分の
意志の強さに頼って「確信する。」だった。それは揺れ動きやすい。例えば肉体が健康な時は自分の意志の強さに自信を持っていた人も、ひとたび病気になると急に弱気になってしまい過去に持っていた意志の強さなど、どこかに吹き飛んでしまう。ーーーー
 それに対しヨハネは自分の弱さ(肉体的にも精神的にも)を自覚していたので、いつも
イエス様により頼む習慣がついていた。なので自然にイエス様のことを深く知ることが出来た。(政府の官房長官はいつも総理大臣と行動を共にしているので、総理が何を考えているか、をよく知っている。)ヨハネもそのようにイエス様といつも行動を共にしていたので、
イエス様が「信用できる方」だと「確信している」。これは周囲の状況に関係なく、また
自分の精神状態に関係なく、揺れ動くことのない事実。ーーーーヨハネはイエス様に対し、
「確信している」を持っていたので、周囲にどんな逆風が吹いても、平常心を持ち続け、
十字架上で主が息を引き取る最後の瞬間まで、ついて行った。それが彼にとってごく自然
なことだった。
                                    つづく