暖かく無関心なホッとする人(P君)5103話

16:55 D君(今気がついたことがある。それは「確信する」は自己完結していて、自分の
意志の強さによって、その確信が強くなったり弱くなったり変化する。ーーーー
 だが、「確信している。」は自分以外の誰かのことを指している、その人物が「信用できる人」として脳にインプットされているので、周囲の状況や自分の精神状態に左右されない
。(これは太陽が動かないのに似ている。「確信している」はどんな状況でも動かない。
 が、「確信する」は地球のように、いつも動いている。だが「確信する」(地球)の人は、自分の確信が動いていることに気がついていない。(ペテロは最後の晩餐の夜、
「確信する」しか持っていなかったので、イエス様がどんなお方なのか十分な知識もなく、
自分が持つ意志「確信する」に頼って暗闇に出て行った。でもそれは自分と同意見の弟子たちの中でしか通用しない脆く崩れやすいものだった。ーーーーそれで焚火にあたっているとき、他の弟子たちから離れて一人になったとき、急に弱気になり。その場にいるイエス様を好ましく思わない人々に囲まれ、イエス様を知らないと言ってしまった。このように「確信する」という言葉は脆く崩れやすい。ーーーー
 が、ヨハネの持っていた「確信している」は自分以外の人「イエス様」を指している。
イエス様は太陽のようなお方で、宇宙空間の中で微動だにせず少しも動かない。(イエス様は御自分の事をピラトの前で、公に自分がどんな存在か明らかにした。)だからヨハネは
どんな危険な中でも、自分の持つ「確信している」のおかげでヨハネも微動だにしなかった
。ーーーーこう考えると、「確信している」というのは、太陽のように自分とは物理的に
距離がある人(イエス様)の場合を指している。ーーーー「確信する」は自己完結。自分の内部完結。自分が動揺すれば「確信する」も動揺してしまう。


 「確信している」と言う言葉こそが「信仰」だと思う。」
                                     つづく