暖かく無関心なホッとする人(P君)5045話

14:55 D君(さっきは「責任」について考えていた。今度は「信頼関係」について考えていた。イエスさまは福音書で「わたしが再び来られるとき、地上に信仰が見られるだろうか?
」とおっしゃられた。信仰と信頼関係は似ていると思う。信頼関係は「きっと、あの人なら
約束を守ってくれるはず。」ということだが、銀行はそう信じて、約束手形を切って、金銭をある企業に融資してくれる。もちろん担保を取ってのことだが、基本的には「あの会社なら、約束を守ってお金をちゃんと期日までに返してくれる。」という信頼関係があるからだ
。もし担保を取っておいても、その会社が世間の評判が悪く、倒産したら夜逃げする可能性
がある会社だったら、銀行は貸し渋りをするだろう。このように「信頼関係」は未来を明るくする。「信頼関係」があるから、今、経済的に乏しく何もなくても、未来に希望がある。
この「信頼関係」を「信仰」に置き換えてみると、イエスさまに対する「信頼関係」があるから(「イエスさまだったら、絶対信頼できる。なんて言ったって、自分の罪の身代わりになって、十字架で殺されてくださったんだから。そんな方が自分を見捨てるわけがない。」
)それが信頼関係=信仰。ーーーーその関係が崩れると主は預言した。ーーーー先の西村
経済破壊担当大臣は「銀行は酒屋に対し、また酒類を提供する飲食店に対し、融資をしないよう圧力をかけた。ーーーーこれは「信頼関係」で結びついている、銀行とそれらの業者の
鎖を断ち切る。愚かな方策だ。銀行も彼らを可哀そうな業者と思っているかもしれない。
その鎖を上から斧で断ち切るとは、何という憐みの微塵もない、冷酷な愚行だろうか。
銀行だって(信用金庫という銀行もある。まさに相手を信用しているから、お金を貸す。)
苦しんでいる業者にお金をかしているから、その利息で経営して行かれる。ーーーー
経済再生担当大臣は実際に苦しんでいた企業を、再生させたことがある民間の銀行などの
経営者が適任だと思う。自民党の国会議員じゃ無理だ。絶対。
                                    つづく