時空を超えて現れた三人の別々の神

「これは新約聖書のイエスさまがヨハネからバプテスマを受けたときのことです。
その時、イエスさまと天からの父なる神様の声と、聖霊様がハトのように天から
イエスさまのもとに下るという、三者同時に現れました。これは明らかに、
この三者は別々の存在で「我々」です。三人です。
 また、イエスさまが十字架につく前のゲッセマネの園で父なる神様に祈ったとき、
イエスさまは父なる神様に「どうか、この苦い杯を取り除けて下さい。」と祈りました。
ここでもイエスさまの気持ちと父なる神様の気持ちは違いました。
これも人の気持ちは二人以上いれば違うことがあるということです。その長い祈りのとき天から聖霊様が現れ、イエスさまに「何とかしてこの難局を乗り切って」と力づけました。これはまるで野球の試合のとき、監督はピッチャーにあるサイン出します。それは
ピッチャーは受け入れたくない苦しいサインです。ピッチャーはバッターと勝負して
バッターをアウトにしたい。ところが監督はそのバッターと勝負しないで負けなさい
というサインを出すようなものです。なかなかキャッチャーのサインに首を振らない
ピッチャーに向かって、とうとうキャッチャーはマウンドに向かって歩いていきます。
 そこでキャッチャーはピッチャーに「お前の気持ちはよくわかる。でも、これは
チームの勝利のためだ。仕方ない。我慢して、このバッターと勝負しないで歩かせてくれ。」とピッチャーをなだめ、ピッチャーの肩をたたき、ピッチャーに敬遠のサインを
承諾させるようです。そこに三人の登場人物のドラマがあります。これも「我々」です。」