「逆転の発想」

 考えに行き詰ったとき逆転の発想をすれば、意外と簡単にうまくい
くことがある。押してどうしても開かないドアがあっても、こちら側
に開くタイプのドアかもしれない。押してダメなら引いてみな。です。



 ガリレオは物理の研究室の机の上に大きな白紙を広げていた。
望遠鏡で日によって変わる星々の位置を書き込んでいた。すると様々
な星は日々その位置を変えているのに、そのうちの一つの星だけ日々
動かないでいた。その星は太陽だった。
 ガリレオは考えた。ローマ帝国では太陽が地球の周りを回っている
のが定説では?そこからガリレオの研究は始まりました。地球の位置
は変わらないはずだが?ところが図面に地球の位置を書き込んでいく
と、日々その位置を変えている。そして何と、その軌道は太陽の周り
を一年かけて周っているではないか!「みんな地球の周りを太陽が周
っていると思っている。本当は逆だ。みんな気がつかないだけだ。」
 彼は星々の軌道を研究していたので、それに偶然気がつきました。
でも気がついた以上信じてもらえないかも知れなくても、しゃべらな
いわけにはいきません。「それでも地球は動いている。」は有名です。
 彼の場合は偶然に大発見をしたのですが、そのことを黙っていれば
ローマ帝国から要注意人物としてマークされることはなかったでしょ
うが、彼の心の中の真実の炎は大きく燃え続け、その熱さに彼は耐え
られませんでした。誰も信じてくれなくても、この「地動説」を人に
話そう。と思い、やっと真実の炎は小さくなりました。
 わたしは何回も聖書を読んでも理解できないことが沢山ありました。
ある日、偶然に聖書の創世記を読んでいました。なぜか「我々」と言
う言葉が気になりました。この「我々」って誰のことだろう?「我々
」ということは三人なのではないだろうか。もうひとつ特に気になる
ことがありました。それは「あの説」の成り立ちを調べていて聖書の
隅から隅まで読んでも、「あの説」に関することは一言も書いてあり
ませんでした。聖書の最後には「この書に付け加えてはいけない~」
と書いてあるのに、聖書に書いていない「あの説」が、まるで聖書の
御言葉のように大きな顔をしているのはどうしてか?それで「あの説」
の成り立ちを調べたくなりました。それで調べた結果、ローマ帝国の
アタナシウスが考えた説ということがわかりました。
 それから「あの説」と聖書の矛盾に気が付きました。それと最初の
「我々」ですが神様は聖書の最初から三人いたのではないか、という
考えに行きつきました。これは逆転の発想があったからです。今まで
と同じ聖書の解釈をしていたら、何十回聖書を読んでも理解できない
ことは変わらない。それで著名な聖書解釈書を読むことをやめ(押し
ても開かないドアを押すことをやめ)、聖書は聖書から解釈するもの
だと思い今までにない読み方をしました。(引いてみたらドアは開い
た)それで神様は最初から三人いたことがわかりました。