「リアルな三人の神の内の一人の神」

 12弟子たちの頭の中に「あの説」など微塵も無かった。それは
当然のことです。AC313年のミラノ勅令でキリスト教がローマ帝国
の国教になるまで「あの説」がキリスト教の教理に取り入れられる
ことはなかった。初期のクリスチャンは「あの説」に惑わされること
なく、リアルに三人の神と触れ合い、前回の「開かれた扉の向こう」
のベランダに出て、潮風に吹かれ、夏の暑い日差しに当たった人、の
ように聖書の世界をダイレクトに体験できました。その体験があった
からこそ初期のクリスチャンはどんな迫害にあっても耐え忍びました。
 それは体に刻まれている体験でした。体で覚えたことは無意識に反応
します。それは、ちょうど二次元と三次元の違いだと思う。例えば旅行
に行くとして旅行先のガイドブックの写真を見ても感動しないと思う。
でも実際にその場所に行けば感動すると思います。帰宅しても、
そのことを思い出すと再び感動がよみがえってきます。
 それと同じことで初期のクリスチャンはリアルな三人の神様を知っており、
その神様の内の一人の神イエス様を知っており、そのお方が自分の罪の
身代わりに、イエス様は少しも悪くないのに、十字架に掛かって死ん
でくださったことを、ただ頭で知るのではなく、カルバリの丘の風が
吹く血なまぐさい中、そこにリアルに30歳ぐらいの男性が全身血
だらけになって苦しんでいます。本当なら私がその木に張り付けられ
ていなければいけないのに。それを実体験できます。