暖かく無関心なホッとする人(P君)2635話

 
午後3時30分、Bさんはこの辺で読むのを一旦休んでコーヒーを飲みながら考えた。☕
「1612年に禁教令が徳川家康によって出されるまで、宣教師フランシスコ・ザビエルを
初めとして宣教師たちは歓迎されて日本に上陸でき、自由に宣教ができた。ところが
徳川家康が天下を取り、国民一人一人の魂のことよりもの、自分の天下統一を脅かす
キリシタンの存在が気になりはじめ、ついに彼の壮大な夢の方が国民一人一人の心の幸せ
より、不幸なことに重要になってしまい酷い法律を作ってしまった。(彼には被害妄想
があった。)それから明治時代になるまで日本人は約260年もの長い間、信教の自由を
奪われるという悪夢のような暗黒の中を歩むことになってしまう。---------
 それから長い時間が過ぎ、明治時代(1868~1912)に入り、江戸幕府が倒れ王政復古
による新政府体制が確立される。(明治維新=徳川慶喜が政権を朝廷に返して、明治政府
が成立し、様々な改革が行われた。)この時「神仏分離令」が発付され、多くの寺院が
破壊され僧侶が還俗(僧侶を捨て俗人に戻ること)させられる。そしてついに1871年に
戸籍法改正により、宗門人別帳の作成が禁止になる。これにより檀家制度は法的根拠を
失う。続いて1873年には政府に対する外国の圧力によってキリスト教の禁制が解かれる
。そして1875年には「信教の自由」が政府から通達される。この時から再びキリスト教
を信じることが公に自由になった。ここまで読んでBさんは思った。この事実の重大さ
をどれだけの日本人が重く受け止めているだろうか?もし仏教の檀家が、「今日から
クリスチャンになりました。いままで大変お世話になりました。」と告げたのに、もし家の坊さんが、そう簡単にさせてくれないなら、裁判所に告訴でき、勝訴は決まっている。なぜそうしないか考えると、公には自由になっているが、歴史的事実を知っているか否かで個人の選択の自由は違ってくる。Bさんは簡単にクリスチャンになれることがわかり嬉しくなった。
                                     つづく