「もし「あの説」がなかったら今頃どうなってたのだろうか?」

 この事を考えて見ると、初代のクリスチャンと同じ聖書理解に、現代のクリスチャン
も、なると思います。聖書理解の部屋にロックが掛かっていないわけですから、スムーズ
に聖書理解の部屋に入れます。救われたクリスチャンは、まず救いの家の中に入れます。
それから聖書通読と言う長い廊下を歩いた突き当りに聖書理解の部屋があります。
 この場合は「あの説」と言うロックが掛かっていないので、聖書理解の部屋が開かれて
います。「我々」が地球や人間を造り(厳密には子なる神様が造った。)、その人間は(アダムは)我々(三人の神様)に似ていた。初代のクリスチャン(ペテロ、ヤコブ、
ヨハネ、パウロなど)は、このような考えでいた。彼らと同じ神概念になれます。彼ら
の頭には「あの説」など無く、神様と言えば父なる神様、子なる神様、聖霊なる神様の
三人の神様(我々)で彼らは成人男性(アダム)に似ている、と言う事をイメージできた。