「実存する三人の神様(我々)を意識するクリスチャン」

 実在する三人の神様(我々)を意識することは非常に大切です。この事を意識しないと
様々な場面でクリスチャンは失敗します。聖書を読んでいて思う事は、たとえ神様を信じてる人でも(旧約時代はクリスチャンは、いなかった。)この事を意識していないと失敗
します。アダム達は、この事を意識しなかったので、絶対食べてはいけない善悪の知識の実を食べてしまった。ダビデは、この事を意識しなかった時、忠実な兵士ウリヤの妻と不倫の罪を犯した。その子供ソロモンも、この事を意識しなかったので、偶像を礼拝する異邦の女を多数、妻に貰った。ペテロも、この事を意識しないとき、イエス様が十字架に架けられる前夜、裁判にかけられている途中、この事を意識していなかったのでイエス様を知らないと言ってしまった。ペテロはイエス様を肉眼で見える時だけ忠実なクリスチャンで、見えないときは失敗した。未信者になってしまった。
 この実在する三人の神様(我々)を常時、意識するクリスチャンは失敗しません。
それは「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
(へブル11-1)の肉眼では見えない実存する三人の神様(我々)を意識することは、
見えない事実(三人の神様、我々)を確認することだと思います。