「ジャーナリスト」

 ジャーナリストとは新聞、雑誌、あらゆるメディアの記事を書く人です。
彼は思想家でも政治家でも宗教家でもありません。ただ真実だけを記事に
する人です。ある組織に所属してしまうと、その組織が不利になる情報は
隠ぺいされ、もみ消され、表には有利な情報しか出てきません。近いところ
では、清原の事件、舛添さんの事件、これらは最初ジャーナリストが事件
を嗅ぎつけ、取材をし記事にしたのを読んだ警察なりが動き、証拠を提示しました。
政治家でも宗教家でも、身内の事となると真実と言う言葉は、どこかへ行って
しまうみたいです。
 ユダヤ教宗教指導者もそうでした。彼らは創世記という真実を、畏れて
受け止めませんでした。その書には「我々」が地球や宇宙や人間を創造した事
が書いてありますが、彼らは「我々」という言葉に拒否反応を起こしました。
 なぜなら彼らの支持する宗教観と合わないからです。その宗教観とは二回目
の十戒石板の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」
です。彼らは、この「わたし」と言う言葉を一人と解釈しました。すると彼ら
の考えた事は、「我々」(複数)か「わたし」(一人)のどちらが自分たちの
組織の支持する宗教観と合致するかと言う、真実とかけ離れた事になってしま
いました。彼らの生きていた時代は二枚目の十戒石板しかありませんでした。
まさか最初の十戒石板があったとは、そしてそれをモーセが投げつけ砕いて  
しまったことを知りませんでした。それで二枚目の十戒石板が彼らにとって 
心の拠りどころです。彼らにとって大事なのは組織を挙げて神様は一人と言う
事に決定したということです。その組織を守るために不利になる情報は隠ぺい
され、もみ消されました。(モーセが実在した当時のユダヤ人は最初の十戒石板
を知らなかったとしても、出エジプト記を読んだ、のちのユダヤ人は最初の十戒石板
のことを知っていたはずです。)しかし最初の十戒石板の事は隠ぺいされました。
なぜなら、そこに書いてあった事が二回目の十戒石板と違う可能性があるので、
二回目の十戒石板の持つ力が弱まるからです。
イエス様はジャーナリストのように真実しか彼らに話しませんでした。私は神の子です、と。(この時点で神様が複数になった)この発言は彼らの組織の存在を否定することなので、彼らはイエス様の殺害計画をたてました。全ては彼らの組織を守るためでした。
 これに似たことが現在のキリスト教社会にもあります。それはキリスト教社会の作った
組織として支持する宗教観(これは個人の考えを無視し、非人間的な組織としての事しか考えていません)大事なのは組織を挙げて神様は一人(「あの説」三つにまして一人の神
ですので神様は三つ違うように見えても、神様は一人です)と言うことに決定したということです。(AC313年)その組織を守るために不利になる情報(この初期のブログ
「アタナシウスの真実」に、その不利になる情報が詳しく書いてあります。)は隠ぺい
されました。この事実が分かると「あの説」を支持している人は困惑するからです。
彼らは真実より「あの説」を守る方が大事なのでしょうか?もしそうだとするとイエス様よりユダヤ教指導者に似ていることになります。彼らは真実(聖書)より組織(人間の
集合体)の方が大切です。個人が聖書を理解できなくても関係ないのでしょうか?