「興味を失わせるもの」

 ここに6歳になる一人の男の子がいます。その子は算数が好きでした。
小学校に入学するのを楽しみにしていました。そして小学校に入学しました。
ついに楽しみだった算数の時間がきました。その先生は黒板にチョークで
1+2=1と書きました。その先生は「この学校では、これが正解です。」と言いました。
その子は大好きだった算数が、その日から嫌いになり勉強もしなくなりました。
 これは笑い話ですが、これに似たことがキリスト教社会にもあります。
あるクリスチャンは救われたばかりでした。毎日、聖書を読むのが楽しくて
しかたありませんでした。ところがある日曜日、礼拝の賛美の時
「せいなるせいなる」を賛美しました。その時「~三つにまして一人の神~」
と歌いました。彼は?と思いました。創世記では「我々」という方々が
地球や人間を創ったと書いてある。その我々という方々は人間に似ている
(正確には人間が神様「我々」に似せて創られた。)ので一人と言うことは
ないだろう。と思い、その曲「せいなるせいなる」を詳しく調べてみました。
そこから彼の興味は膨らみ「あの説」に、たどり着きました。そしてクリスチャン
でない太陽三神崇拝者のエジプト出身のアタナシウスが、エジプト国民を
クリスチャンと見せるための苦肉の策として、「あの説」が作られたことが
わかりました。
 私はそれでもキリスト教への興味を失わなかったから良かったですが、
場合によっては、このことがつまづきになり、聖書に対する興味を失い
二度と教会に足を向けないかもしれません。もしそうなったら、神様に
どう言い訳するつもりでしょうか?
 現在クリスチャンで、心の底から「あの説」を信じている人はいないと思います。
でも信じているふりをすることが、しきたりだとしたら、そんなしきたりは
無い方が良いと思います。そんなしきたりが無くても誰も困らないし、
それがあることで、つまづく人も出てきます。つまづかせる物は取り除く方が
良いと思う。