暖かく無関心なホッとする人(P君)5760話

1/22(日)10:00   D君(急に思いついた。なぜ何一つ罪を犯さなかったイエス様が、
ユダヤ人の律法学者やパリサイ人らによって十字架刑で、殺されなければならなかったのかを。その理由は彼ら(律法学者やパリサイ人ら)はモーセの十戒の初めの戒め「あなたには
、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20-3)の戒めを
破って、神は唯一、一人の存在であるはずのところに入り込み、自分も神であることを主張したので、それは絶対に受け入れられない彼らによって、殺され命を奪われ地上から消されてしまった。
 ここで考えた。もし神が唯一、一人の存在であって、自分はそのお方とは違う存在であることを言っていれば、殺されることはなかった。しかしイエス様は命がけで、「自分も神と
同じような、もう一人の神であることを主張し続けた。このモーセの十戒の最初の戒めを、
正しく理解していなかったユダヤ人らを知ることは、大変重要なことだと思う。
 それは創世記にさかのぼる。(創世記1-26)「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう~。」ここで神は御自分のことを我々と言って、複数の存在であることを
示している。それなのにユダヤ人らは「唯一の神が、なぜ我々などと言うのか?」と言って
受け入れようとしない。これはユダヤ人にとって、出エジプト記と比べて創世記があまりにも軽んじられているからに違いない。
 この創世記を軽視した発言はおかしい。「われわれに似るように、~」(創世記1-26)の
御言葉は、モーセの十戒が出来た出エジプト記より古い書物、創世記に書かれているのだから、本来は最重視しなければいけないはず。その創世記には「神が唯一、一人だとは書かれていない。」
                                     つづく