暖かく無関心なホッとする人(P君)5719話

12:38 D君(さっきの話の続きで、一つ気がついたことがある。それは「パウロですら
、モーセの十戒の一番最初の一文「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20-3)の文章を正しく理解していなかった。ということ。パウロ(当時はまだサウロ)は主なる神様以外の神といわれる存在のことを「ほかの神々」と思っていたようなので、主なる神様以外の神イエス様を認められず殺害した。だがパウロはその前の「あなたには、わたしのほかに、~」と言う文章を見逃している。主なる神様は「わたしという神々の存在は認める。だが、それ以外のほかの神々の存在は認めない。が、正しい解釈だと思う。あくまで主なる神様が主体で、そのお方の視点からものを言っている。なのにパウロは主なる神様の立場を無視して、主なる神様は単純に一人の神。その方以外の
神と言われる存在は認めない。だがちょっと待てよ。この発言をした張本人の主なる神様が
「わたしのほかに、」と言って「わたしは例外的に認めるけど、ほかの神々は認めません。」と言っている。ここをよく理解すれば「三つにまして一人の神」などと無理やり、
主なる神様は、あくまで一人の方なんだ。と思い込むこともない。主なる神様自身が、わたしたち(我々)という神々のグループ(父なる神、子なる神、聖霊なる神)の存在は認めるが、それ以外の神々のグループは認めない。と言っている。では、どうして初期のパウロのように主なる神々のグループを認めなくなってしまったのか?考えてみたい。
                                     つづく