暖かく無関心なホッとする人(P君)5720話

14:05 D君(そもそも僕がなぜそんなに、「三つにまして、一人の神」という歌詞に
違和感を感じるかと言うと、聖書の創世記の最初のほうを、よく読むと「我々」という
主なる神の神々グループが、話し合いの結果、この世界や人間アダムをどのように創造
するか決めたことがハッキリ書かれている。(アダムは我々という神々グループをモデル
として造られた。だからアダムを見れば神々グループの姿がわかる。)なのにそんな重大な
ことを無視して、簡単に「三つにまして、一人の神」などと歌っていいのか?それは創世記
に書かれていることに反していると思うから。もっとも創世記をよく読んでいないのなら、
違和感を感じないで歌えるかもしれないが、、、、いつから主なる神と言う「我々」神々
グループが闇に葬られてしまったか、歴史を振り返ってみたい。まず、創世記の時代は、
モーセの十戒などなかった。最初の人アダムはいのちの息を子なる神(イエス様)から吹きかけられ、生きる者となった。(これはまるで、仮死状態で呼吸が止まり、心停止してしまった人に、人工呼吸をして、心臓が再び動くように働きかけるよう。)こうして生きる者となって目を開いたアダムが最初に見たものは、子なる神(イエス様)だった。そして時がたって、バベルの塔の時代には、「我々」という主なる神々グループは天から、地上のやっかいな様子を見て、それを止めるために人々の言葉を通じなくさせた。(それまで世界には
一つの言語しかなかったので、誰とでもコミュニケーションできた。)そのあと時がたって
、アブラハム、イサク、ヤコブが登場するが、彼らは主なる神様がどのようなお方か知らずに礼拝していた。そしてヨセフの時代までそれが続いた。が、問題はそのあとの時代。


                                    つづく