暖かく無関心なホッとする人(P君)5105話

9/4(土)9:55 D君(昨日書いた「確信していたヨハネ」について、もう少し書きたくなった。ーーーーヨハネが何を確信していたかと言うと、いつもすぐそばにいたイエス様は、
ただの良い指導者ではなく、神様から遣わされた神のひとり子で、このお方を信頼する人には永遠のいのちが与えられる。ーーーーそのことを確信していた。それは誰かの言い伝え
でそうしたのではなく、自分の目でイエス様を見て、触れて肌で感じて、四六時中、行動を
共にして、そう確信していた。それは事実だった。なので他の誰かがイエス様から離れて行ったとしても、自分はイエス様から離れないことを決めた。それは「確信する」というような自分の頑張りではない。だいたい頑張る必要がない。イエス様の事をあまり知らなければ
、イエス様だったら多分自分を助けてくれるだろう。その思いに堅くすがりつくのが「確信
する」ことになる。が、ヨハネは多分とかでなく、過去にイエス様と行動を共にしてきて、
病んでいる人をたくさん癒すのをこの目で見て、また死人をよみがえらせるのも見てきた。
また5000人もの大観衆をたった5つのパンと2匹の魚から、増やす奇跡を行ない十分食べさせ、ある時は湖の水の上を歩く奇跡をこの目で見てきた。明らかにこのお方は人間ではない神のひとり子だ。だからどんな奇跡でも自由自在に行える。「確信する」などという自分の
頑張りは必要ない。だってそれは事実だから誰も否定できない。ーーーーただ自然にヨハネは「イエス様を神のひとり子だと確信していた。」これはまぎれもない、少しの陰りもないこと。


神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
                             (ヨハネの福音書3-16)


                                   つづく