暖かく無関心なホッとする人(P君)5104話

18:55 D君(ここまで来るのに長かった。信仰とか信じるとか受け入れるとか、教会では
よく聞いたが、具体的にどんな心理状態が「信仰がある。」というのか?誰も教えてくれなかった。確かに自分の持つ罪を認め、洗礼を受け、毎日曜日には教会の礼拝に出席した。
でもそれは形ではクリスチャンと言えるだろうが、自分一人の時どんな状態が「信仰がある
。」と言えるのか?ーーーーそのことをずっと考えていた。ーーーーところが偶然にも、
イエス様が十字架につけられる前の晩(最後の晩餐)の席での、ペテロとヨハネの行動を
とおして「確信するペテロ」と「確信しているヨハネ」の違いがその後の行動の違いと関連
することがわかった。ーーーーイエス様を信じています。私はクリスチャンです。と言っていても、迫害が起こりペテロのように信仰を試されたとき、イエス様を否定したとしたら
いくら以前、「私はイエス様を信じています。私はクリスチャンです。」と告白していたとしても何の役にも立たない。告白の有効期限は1秒しかないと思う。前日に告白したから
今日はしなくていいというものではなく、瞬間瞬間更新しなければならない。ーーーー
それには目標がないとできない。目標をいつも見上げていないとできない。ではその目標
とは何だろうか?ーーーーそれは「十字架につけられ血を流しているイエス様だ。」ーーーーーその姿は自分とは距離が離れている。だから「イエス様を確信している。」になる。
ーーーーその姿を見て、「イエス様を確信する。」では何かおかしいと思う。


                                     つづく