暖かく無関心なホッとする人(P君)4265話

8:40    「正樹の一人クリスマス(クロスロード)」第80話


  正樹は続けてマタイによる福音書21-33から読み出した。
「もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの家の主人がいた。彼は葡萄園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
 さて、収穫の時が近づいたので主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへ
しもべたちを遣わした。すると農夫たちは、そのしもべたちを捕まえて、ひとりは袋叩きに
し、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。そこでもう一度、前よりももっと多くの
別のしもべたちを遣わしたが、同じような扱いをした。しかし、そのあと、その主人は、「
私の息子なら敬ってくれるだろう。」と言って息子を遣わした。すると農夫たちは、その子
を見て、こう話し合った。「あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手にいれようではないか。」そして彼を捕まえて、葡萄園の外に追い出して殺して
しまった。この場合、葡萄園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう?」
彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、その葡萄園を、季節には
きちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」~


 正樹の心に留まったのは44節からの御言葉だった。   また、この石の上に落ちる者は
粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
(この石というのはキリストのことだと思う。先のタイプの人は、自分から罪を悔い改め、
へりくだってキリストと言う石の上に落ち、心が砕かれる。しかし、罪があるにもかかわらず、それを悔い改めもせず、高ぶっている人は、いつか必ず、キリストと言う巨大な岩が
その人の上に落ちてきて(最後の審判)、あとかたもなく粉みじんになってしまう。)


~祭司長とパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして
話しておられることに気づいた。~
                                    つづく