暖かく無関心なホッとする人(P君)3911話

11:35 D君(イエス様の救い(赦し)の意味をもう一度考えてみた。イエス様はある時、
弟子のペテロが「主よ、同じ人が私に罪を犯して来たら、何回まで許すべきですか、七回までですか?」と質問してきた。----すると主は「私は七回までとは言わない。七回を
七十回まで許しなさい。」と言いました。(これは7x70=490回ということではなくて、
無制限に許しなさい。という意味だと思う。)これは人間には考えられないことで、普通は
同じ人から罪を犯されたら、数回目は「堪忍袋の緒が切れる」状態になりブちぎれて我慢できなくなる。がイエス様はそうじゃないらしい。例えるなら、車の運転中、交通事故を犯してしまったとする。事故を犯してしまったドライバーは真っ青になって、警察と救急車を呼ぶ、彼はまさか自分が人をひいてしまうなんて、30年間無事故無違反のゴールドドライバー
なのに(涙)。この場合は常務上過失で刑が軽い。なぜなら彼は車で人をひこうなんて1%も考えていなかった。罪の場合も同じことだと思う。彼は罪を犯したくて犯したのではない
。こういう罪はイエス様の十字架で流された血で赦される。その回数は何回か誰もわからない。でも悪意をもって、ある特定の人を車でひき殺した場合は話が違う。彼は警察などを
呼ぶだろうが取り調べなどで「これはただの交通事故じゃない。」と見破られ、刑事事件
と特定されれば刑が重い。(これはヘブル人への手紙に書いてある、計画的な犯罪にあたる
。)前者の場合は仕方なかった部分もある。なのにそれを赦さなかった場合はマタイ18-21~
35のように自分も許されなくなる。だからイエス様は無制限に赦すように言った。
 「自分の罪が許される条件として、自分と関係がある人を無制限に赦す必要がある。
  それをしなかったら自分の罪も残ってしまう。」
                                     つづく