暖かく無関心なホッとする人(P君)3410話

 11/15(金)朝6:00 D君は起きた。サイドテーブルに置いてあるスマホを手に取り、
メールを確認したが誰からも来ていなかった。(最近気のせいか気のせいなんかじゃない
、会社の事だ。昔と今とでは空気感というか居心地がすごく楽になった。最初会社で
クリスチャンは僕だけだったが、それから3年経って今じゃ、同期入社のKK、後輩の
キムタク、僕が編集を担当しているBNさん、KKが担当しているサーティー。と、まあ
自分の周囲のクリスチャンに理解のある人だけで5人もいる。会社は全社員20名と小さい会社だけど、社員3人がクリスチャンということは、日本では極めて稀な事だと思う。
社長はまだクリスチャンではないけど、僕ら3人がクリスチャンだということは知って
いる。今、彼は少しはクリスチャンと言う者に興味が出てるはずだ。でも僕はあえて彼を教会に誘わないつもりだ。なぜかというと、人間心理を知っているからだ。興味があっても他人から、その情報を得られないと自分から、そのことを自分で調べるようになるからだ。これはクリスチャンホームの子供は親からただで聖書を与えられるが、他人からもらった聖書はあまり読まないと聞く。聖書を自分で買うとボロボロになるまで何回も読む。これは自分も体験済みだ。まだクリスチャンになってから3年ぐらいしか経っていないけど、とおして3回以上読んでいる。1年に1回はとおして読みたい。そんな気になったのは自分で聖書を手に入れたからだ。だから自論だけど、聖書は他人にただで与えちゃいけない本だと思う。さっきの話もそれと似てる。社長もそのうち自分で聖書を買うだろう。
それで読んできて、僕らにわからないことを質問してくるだろう。そのうち教会に行きたくなるだろう。でも「彼が教会に行きたい。」と言い出すまで教会には誘わないつもりだ。こういうと今の伝道とは逆行していると思う人もいると思うけど、僕は福音のたたき売りはしないつもりだ。イエス様も言った。「聖なるものを犬に与えてはならない。そうすれば向き直って噛みついてくる。」また「豚に真珠を投げ与えてはならない。」とも言っている。とにかく福音の価値のわかる人に。残念ながらマタイの福音書にも書いてある。「狭い門から入りなさい。」一つ言えることは「人は暖かく明るい焚火のある所には自然に集まって来るもの。」ということ。なぜならそこは居心地の良いところだから。
自分もそんな存在になりたい。事実僕が救われてから嬉しそうにしているのを見て、KKやキムタク、BNさん、サーティーは僕の所に集まって来た。僕は彼等を一度も教会に誘った事はない。ただフレンドリーに普段どおりに彼らと接した。で、彼等の方から
「一緒に教会に連れて行ってほしい。」と頼まれた。僕は彼らが教会に来られるように
手助けした窓口に過ぎない。コンサートや映画館には必ず窓口がある。そこでチケットを買わないと入れない。そんなことは常識だ。でも初めて教会に来た人も、ある意味そんなつもりだと思う。彼等は非日常の世界に足を踏み込む前に、窓口を通らないといけないと心のどこかにインプットされている。そんな僕が窓口なのかな多分ね。窓口はコンサートホールや映画館の建物の外にある。道路に接していて通行人と会話できる距離にある。
コンサートホールや映画館の前を歩く人は少なくとも、コンサートや映画が嫌いな人ではないと思う。もしそうならわざわざそんなところを通らないはずだ。とにかくこれからも教会の窓口になろう。)


                                    つづく