暖かく無関心なホッとする人(P君)2562話

 10月9日(火)朝6時、D君は起きた。イノッチの結婚が決まり、やっと肩の荷が降り
ホッとしたD君だった。ここ1,2か月はイノッチのことをずっと心配していた。結婚には
タイミングがある。30代のうちに結婚しないと、40代になると男性の場合は難しくなる
、女性は35歳までだろう。これで隆一(プーさん)、聡(ゲンP)、イノッチと結婚が
決ったから、これからは前から気になっていた、出エジプト記の謎、自分の聖書研究に
集中できると思った。読書の秋だ。涼しく頭が一番クリアな季節だ。自分の聖書研究は
創世記には割とご自分達のことを「我々」と言って、その我々は「我々に似せて人を
創ろう。」と言ってアダムを創った。だからアダムを見れば神様の姿がわかる。アダム
は人間の男性だった。一人の人だった。ということは我々(父なる神様、子なる神様、
聖霊なる神様)はそれぞれ一人の人の様であったと思う。だから新約聖書で再臨の時は
天のみ使いも子(イエス様)も知らない、ただ父だけが知っておられる。とイエス様は
言った。ここからわかることは父なる神様ですらイエス様に全てを教えないということ。
父なる神様と子なる神様の関係を考えてみると、父は子がいてはじめて、ご自分の立場がハッキリする。子も父がいて自分の立場がハッキリする。でも別の人格だから相手の思っていることは分からなくて当然。なのに出エジプト記に入ってユダヤ人に十戒が与えられ
最初の十戒石板は砕かれてしまい、そこに書かれていたことが分からなくなってしまった
。しかしそのヒントはある。それは創世記に書かれていたことと矛盾するわけがない。
つまり創世記をよく読めば、最初の十戒石板に書いてあったことがわかる。しかし残念な
ことにユダヤ人達は創世記を無視して(特に我々を無視している。)、出エジプト記を
尊重している。でもそれは二回目の十戒石板だ。それが原因でイエス様は殺された。
そんなことを考えながらD君はベッドから降り、着替えるために脱衣室に向かった。


                                     つづく