暖かく無関心なホッとする人(P君)2218話

 10時、D君は続けてその本を読んだ。ポルトガル、スペイン側の在りもしない噂話
(それらの国は日本を植民地支配し、宣教師たちを先に遣わしたのも、その事と関係ある
と言う噂話)をイギリス、オランダ側が流して幕府を動揺させ、ポルトガル、スペイン側に対する警戒感を強めさせた。同時に宣教師たちも警戒し出した。その結果、公的貿易国としてオランダが選ばれた。またキリシタンたちの殉教をも恐れない信仰が支配者層に
危機感を与えた。そしてついに1612年に禁教令が出される。さらにこの禁教政策に拍車を掛けたのが島原の乱(1637~1638)だった。重税と飢餓に苦しむ農民の一揆が、以前
よりその土地に根付いていたキリスト教信仰と結びついて起こった、この乱は幕府に
よって一方的にキリシタン一揆と決めつけられ、キリシタン弾圧が激しくなった。
 このような中、江戸幕府は禁教政策の一環として仏教寺院の機能を利用した。それが
檀家制度。どの家でも地域の寺院に檀家として登録させ、その登録をしなければ一切の
社会生活ができないようにした。それを寺請制度といい、家が寺の檀家であることを証明
するために寺の発行する証明書を寺請証分という。島原の乱、以後、すべての者が登録を
強制された。(宗門人別帳)ここまで読んでD君には怒りがこみあげて来た。が続きを
読んだ。徳川家康が天下を取ると、それまでの信教の自由が完全に無くなった。それから明治時代になるまで日本人は約260年もの長い間、信教の自由を奪われるという暗黒の中を歩むことになる。
 それから明治(1868~1912)に入り、江戸幕府が倒れ、王政復古による新政府体制が
確立される。(明治維新=徳川慶喜が政権を朝廷に返して、明治政府が成立し、様々な
改革が行われた。)このとき「神仏分離令」が発布され、多くの寺院が破壊され、僧侶
が還俗される。そしてついに1871年には戸籍法改正により、宗門人別帳の作成が廃止になる。これにより檀家制度は法的根拠を完全に失う。続いて1873年には政府に対する
外国の圧力によってキリスト教の禁制が解かれる。そして1875年に「信教の自由」が
政府から通達される。D君はここまで読んで、この時から日本人は再びキリスト教を信じる事が公に自由になった。が、はたしてこの事実を何%の日本人が知っているだろうか?
この事実を知っているクリスチャンは日本にある「無言の圧力」から解放される。だが
知らないクリスチャンは「無言の圧力」に苦しめられる。そんなことを考えていた。


                                    つづく