暖かく無関心なホッとする人(P君)2217話

 9時30分、D君は軽井沢旅行で考えていた、戦国時代から江戸時代初期にいったい何が日本に起きたのか知りたかった。戦国時代まではキリシタン(クリスチャン)大名が多くいたのに、江戸時代になると彼らは姿を消し、ほとんどの人が「一応仏教徒」にさせられた。その秘密が知りたかった、これは日本でクリスチャンとして生きていくため「無言の圧力」に屈しないための「理論武装」いや、事実に基づく「歴史武装」なんだと思った。彼は日本史の戦国時代から江戸時代初期に関する本を読み始めた。
 織田信長はキリシタンを保護していた。この時代までは大名までキリシタンになるほど
信教を自由に選べた。D君は思った。「この時代の日本の方が今よりもっと信教の自由が
あったんだ。」
 その後、豊臣秀吉が天下統一すると1587年に伴天連追放令(クリスチャン追放令)が
出された。それはクリスチャン達の信仰と団結力の強さ、そして宣教師達の活動が彼の
権力集中の妨げになるためだった。
 秀吉に代わって天下統一した徳川家康は、初めのうちは海外貿易を推進するために、
むしろキリスト教の宣教師たちに好意的な態度で接した。ところがその家康もだんだん
禁教政策へと傾いていった。その背後には当時の国際状況がある。宣教師を多く送り込んでいたポルトガル、スペインはイギリス、オランダとの勢力争いに敗れ、結局オランダ
が幕府との公的貿易国として選ばれた。それはイギリス、オランダ側がポルトガル、
スペインの植民地支配と宣教師たちの関係を強調したと思われる。そこを読んでD君は
「これは単にイギリス、オランダ側が日本政府との貿易協定を結びたいだけの噂で
ポルトガル、スペインは日本を植民地にしたかったかどうか知らないが、少なくとも
宣教師たちを政治と結びつけるのは変だと思った。宣教師たちは故郷を捨て、主のために
命がけで全人生を日本に宣教するためだけに来たのに、彼らは純粋な人々だった。なのに
彼らがポルトガル国、スペイン国のために命を捨てて日本に来るとは考えられない。


                                     つづく