危険地帯アレキサンドリア。

 いったい「あの説」は、どこの誰が言い出したのだろう?聖書の、どこにも「あの説」のことを書いてあるページはない。聖書が書き終わてから誰かが言い出したのなら、それは大変なことではないだろうか。聖書は神の御言葉です。会社の社長命令は絶対です。
それで完結しています。そのことに、その会社の一社員が口を挟むなど、ありえないことです。
 しかし、そのありえないことが(あってはならないことが)ローマ帝国で起こってしまいました。ローマ帝国がだんだん力をつけて周囲の国々を支配し大きくなり、それに比例するようにローマ皇帝も自分は偉い人のように思い、とうとう聖書の御言葉にまで手をつけだした。これはまるで平社員だった人が、どんどん昇級し、ついに社長命令にまで口を挟む人のようです。こうしてローマ帝国も神様の決めた命令(御言葉)にまで、口を挟むようになってしまった。
 問題の事件はエジプトのアレキサンドリアで起きた。(ローマ帝国は国を拡大し続け、エジプトもローマ帝国の支配下に置いた。)アレキサンドリアは「世界の結び目」と呼ばれた。この学術都市はキリスト教と多様な異教思想との危うい接点であった。
 ローマ帝国は、その住民を何とかしてクリスチャン化したく、その土地に古くから伝わる太陽三神の信仰をそこなわないように(住民の機嫌をうかがいながら)、太陽三神そっくりの思想をキリスト教に持ち込みました。その思想は、太陽には朝日と日中の高い位置
の太陽と夕日の三つの姿があるが、三つとも同じ太陽である。と言うことです。これは何かと似ていると思いませんか?これは「ある説」の三つの違う姿ですが、これは同じ一人です。その時によって、その姿を変えますが同じ一人の人ですと言う説にそっくりです。
 この説によってアレキサンドリアの住民はキリスト教も自分たちの信じてきた太陽三神の思想と、あまり変わらないのだ。と思いキリスト教を受け入れ、ついにローマ帝国の
国教をキリスト教にすることに成功しました。これが「あの説」のはじまりです。
 「あの説」の思想を伝えたアタナシウスはアレキサンドリアの住民でした。彼はエジプト文化には日常的に接していた。太陽三神の存在を知らないはずはない。
 「あの説」の思想は太陽三神が元である可能性が高い。