暖かく無関心なホットする人(P君)832話

 午後7時、聖書を読む時間だ。今晩読むのは創世記11章だ。11章は有名なバベルの塔の
記事だった。この時から人類はバラバラに散って行ったのは皆知っているが、この章を
よく読むと驚くようなことがわかった。最初人類は一つの言葉しかなかった。それで
どんな人とでも意思疎通ができた。そしてついに彼らは言った。「さあ、われわれは街を
建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(4節)それで主がその塔を見るために降りて来た。ここまではわかる。しかし
そのあと不思議な事を言った。もし主が一人なら言わない「~さあ、降りて行って、そこでの彼らの言葉を混乱させ、~」(7節)と言っている。考えて見て欲しい。自分一人で「~さあ、降りて行って、~」とは言わない。まるで誰かに呼びかけるように「~さあ、一緒に降りて行こう。」と言っている、これは一人でなく主は複数いたのではないかと思い、聖書の他の訳(新共同訳)を読んでみた。すると、そこには「我々は降って行って、~」(7節)と書いてあった。やはり主は一人でなく複数の我々という方々だった。その他者に呼びかけ、意見が一致したので、お互いの言葉を通じなくし意志疎通ができなくなり、バベルの塔建設計画は中断され、人々は散って行った。ここは大事だと思った。
何となく読み過ごしてしまうが、よく考えると大変な事が書いてある。主は我々と言う
複数の方で、お互いに呼びかけなければ行動を共にしない、もし密着していて本人の意志の通り他者も行動するなら、「~さあ、降りて行って、~」などと人が他人に呼びかける
ような事を言わないと思う。キーポイントは我々と言う方はどんな方だったかと言うと、
創世記1-26で、「そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。~」」と言った。そして造られたのがアダムだった。と言う事はアダムとわれわれ
という神は似ていたということです。アダムは一人の人でした。アダムのような神様が
傍にいる別の神様に向かって「~さあ、降りて行って、そこでの彼らの言葉を混乱させ、
~」と呼びかけ、彼らが同意したので天上から地上に我々と言う神(主)が降りて来て
、人類の言葉を混乱させた。と読むと解りやすい。
                                     つづく