暖かく無関心なホットする人(P君) 568話

 午後7時、聖書を読む時間だ。今晩読むのは使徒の働き2章だ。2章は有名な五旬節の
日(ペンテコステ)の出来事だった。この章で彼が理解出来ないことは、25節の


「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。
 主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。」


だった。D君は「おかしいな?この人の目の前に主がいるのに、この人の右側にも主が
いる。教会では主は「三つにまして一人の神」と歌うから、一人なのだろうか?でも
それでは現実に起きていることとは思えない。それじゃ、幻か夢の中での出来事で、気が
確かな日中の出来事じゃないのだろうか?でも最初の方に「私はいつも、」と書いてある
。と言う事は24時間この人が起きている時も寝ている時も、主は前にも右側にも同時に
いたのではないだろうか。これはどう考えても2人いたと考える方が自然だと思った。
 どうして教会では、ここを無理矢理一人と考えなければいけないのか?リーダーが、「目の前の主は父なる神様の主、右側の主は子なる神様(イエス様)の主、つまり別の主が2人いる。」と言っていたのを思い出した。
                                     つづく