暖かく無関心なホッとする人(P君)5745話

9/6(火)6:15 D君(昨日、創世記をやっと読み終わることができた。予想道理、全部読み終えるのに、夏の終わりまでかかってしまった。でもこの書の中には、神様がどんな気持ちで、またどのようにして人間を創られたか、そして一番大事な事「神様の姿」が事細かに、
書かれている。この書を真剣に、じっくり読んでいけば、驚くようなことが次々に教えられてくる。多くの教会で、聖書通読が推奨されている。だが本当にクリスチャンで聖書を
始めから終わりまで読んでいるのだろうか?多くの人は形だけ、「今日もOO書を1章読むことができた感謝します。」と自己満足で終わっていないだろうか?、、、、では創世記は
じっくり読んだことがあるだろうか?じっくり読んでいれば、なにか疑問に思うことが出てくるはず。が、それが無いとすれば、形だけ聖書通読をしているに過ぎない。皮肉なことに
聖職者は信者に聖書通読を勧めておきながら、真剣にじっくり考えて読んでほしい書と、
そうでない書があると思う。創世記は「真剣にじっくり考えて読んでほしくない。」書の
最右翼だと思う。なぜかというと、「創世記を真剣にじっくり考えて読んでもらうと、聖書を教える立場の人間としては困ったことになるから。」、、、、僕は創世記をあらためて読んで見て、一番印象に残った箇所は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。~」(創世記1-26)というところ。この場面を思い浮かべると、人のような姿をした
三人の神様が人間をどのような姿にするか、話し合っている。」この場面をイメージすれば
聖書の多くの謎が解けると思う。
                                    つづく