暖かく無関心なホッとする人(P君)5745話

18:45 D君(僕がなぜ、三位一体説のことを「あの説」と呼んでいるかを書かなければいけないと思います。なぜならその説は、自分から遠く離れた、遥か彼方の「昔の酷い説」だからです。自分は創世記のはじめの出来事をそっくりそのまま信じています。そこには、まず
、「我々」という三人の神々が現れます。(神様だから三人と人間のように、呼ぶのはおかしいという人もいるかもしれませんが、アダムは神様たちをモデルに創られました。ということは神様たちもアダムのような人間の姿をしていたということです。「我々」と言っていますので、三人だと思います。人間のような姿をした、三人の成人男性。その人たちは、
脳はもちろん別々です。(なぜならイエスt様ですら再臨の日を知らない。と言っています
。マタイ24-36、なのでイエス様と父なる神様は別人格です、人類の罪の赦しによる救済
という目的は同じです。これは野球の監督とピッチャーの関係によく似ています。監督と
投手は全くの別人格です。が、チームの勝利という目標は同じです。ある時、投手は打者
と勝負したくても、監督の指示に従って敬遠策を取らなければいけない時もあります。
こういったドラマチックなシーンで聖書を読むと、ダイレクトにそのシーンが浮かび上がります。決して、何でも父なる神様の思い通りに、すんなり案が通ったのではないと思います
。そこにはイエス様の文字道理「血と汗と涙」があったからこそ実現したのです。
                                      つづく