暖かく無関心なホッとする人(P君)3611話

 12:40 最後はラオデキアの教会に送った手紙だった。その教会の信者は熱心でなかった。といって教会に来ない冷め切った信者でもなかった。一応教会の礼拝には出席するが
家では個人で聖書を読まない、中途半端なクリスチャン。これはクリスチャンホームで
育ったクリスチャンに多い。彼らは迫害にあって苦労してクリスチャンになったわけではない。明確な救いの証というものがない。クリスチャンの親に連れられて毎週日曜日に
教会に何の苦労無しに通った。それがどんなに恵まれていることか彼らは知らない。
彼らにどんなことが起こるかというと、まず家では聖書を読まない。なぜなら家では迫害
はないから、聖書を読んで戦いに備える。(聖書を読む)必要がない。だから友人・知人
に伝道できない。(なぜなら彼らがもし信仰をもって、未信者から苦労して、聖書も読んで、迫害にも勝って、教会の門をくぐるかも知れない?という伝道の導き手をすることが
できない。それは彼らがそういう経験をしていないから想像することすらできない。
これはマタイ25章の愚かな5人の乙女になる危険性がある。彼らは自分の持つべき分の
予備の油(信仰)を持たないで、他人の油を頼りにしていた。(彼らは起きたとき自分の灯の明かりが消えそうなので、賢い5人の乙女が持っている予備の油を分けてくださいと頼んだが賢い乙女は「あなたがたに分けるほどありません。」と言って断った。というか信仰は一人ひとり持つもので、決して他人に分けてあげられる性質のものではない。


                                    つづく