「エスカレーターと階段」

 人は無意識にエスカレーターに乗ってしまいますが、必ずと言っていいほど階段も付いている、と言うか本来、階段の方が主役な物です。エスカレーターは便利な物ですが、
自分の意志とは関係なく動き続けます。ただ乗るだけで他の階に行けます。デパートとかは、それで助かるのですが、精神的に考えた時、果たしてそれで良いのだろうか?と思います。それはこう言う意味です。ある考えに疑問を持ちながらも、みんなが支持するという理由だけで、首を傾げながら皆と同じ事をします。この人はエスカレーターに乗る人
です。すると疑問を持ちながらも、ある階に着きます。「あの説」を支持する人も同じ
です。「あの説」(エスカレーター)を支持していなくても反対しない人は「あの説」に
乗っています。(ある政治家は、「反対しない者たちは、賛成している。」と言いました。ここからサイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)と言う言葉ができました。)
 階段は違います。自分の意志が無いと他の階にいけません。途中で立ち止まることも
自由ですし(その人は他人に流されないで自分がある。)、途中で他の用事を思い出し
引き返したいかも知れません。階段は自由です。(聖書理解も自由です。)それを、ある人が強制的にエスカレーターに乗せたら(「あの説」を支持しなさい。と創世記を無視して、無理やり「あの説」(エスカレーター)に乗せる。)のは、おかしいと思います。