暖かく無関心なホッとする人(P君)1625話

 6時15分、民数記2章は事務的な章だったのですぐ読んでしまった。
D君は「まあ、こんな日もあるだろう。それより真面目にコツコツ毎日一章
読むほうが大事だ。」と思った。彼はインスタントコーヒーを作り☕~
飲んだ。飲みながら「まだ40分も時間があるから、もう1章読もうかな?」
と思ったが、そうするとある日は多く読み、ある日は少なく読む。彼の
体験上、一日中御言葉を覚えていられるのは1つだけで十分だった。だから
多く読めばいいという物でなく、逆に多く読むと大事な個所を見落とす
危険性があることを知っていた。はじめて聖書を読んだときは、とにかく
聖書のあらすじを知りたくて、早く読み切ることが目的で、理解できても
できなくても、1日に1つの預言書を読み切るとか、今では考えられないほど
乱暴な読み方だった。でも、だいたいのあらすじは頭に入った。2回目は
そうでなく、どんなに遅くてもいいから理解できるまで先に進まなかった。
その最たるものは、出エジプト記でモーセが最初、主から十戒をもらったが、
山から下りてイスラエル人が偶像礼拝の罪を犯しているのを見て、ぶち切れ
その大事な主直筆の十戒石板を投げ捨て砕いてしまった。その後、2回目の
十戒石板を今度はモーセが主から聞いた文章を書いた。聖書のどこにも1回目
の十戒石板と2回目の十戒石板が全く同じものだとは書いていない。かえって
違う個所があると考えた方が、聖書のつじつまが合う。そのことを前提に
出エジプト記を読んだら驚くような発見があった。創世記から出エジプト記
にかけて十分理解しないと、その後の聖書理解が難しくなる。それで退屈な
章でも1日1章だけ読むことにしていた。
                               つづく