「理解しない人の強さ」

 これはどう言う意味か分からないと思いますが、最近よく書いた、
踊る大捜査線の映画で新しい警察署に閉じ込められた警察官の事を
考えて見れば分かります。この人たちが、もし新警察署内に、いなか
ったら閉じ込められる事も無かったように、「あの説」を初めから
受け入れなければ、聖書理解で悩むこともなかったでしょう。でも
悩むということは、それだけ聖書を読んでいるからこそ「あの説」と
の矛盾に気が付いたと思います。「あの説」を信じている人は、あの
扉を信用している警察官と同じです。両者とも、それが自分を守って
くれるものと信じています。ですから、それらの保護の内に入りまし
た。しかし、ある意味あまり人を信用しない人の方が幸運です。今の
時代、詐欺師が沢山いますから、どんなことでも信じてしまうと、
簡単に詐欺に引っかかってしまいます。この警察官らは万一の事を
考えて、この扉を用意したと思いますが、それを犯人グループは逆手
にとって、彼らが考えもしなかった誤作動によって、その扉に彼ら自
らが閉じ込められました。「あの説」も教会で聞くことですし、それ
を解く教会は正当教義として正当な教会とされています。それで聖書
をよく読まないクリスチャンは安心し切っています。ここに落とし穴
があります。悪者はこれを逆手に取ります。「あの説」を支持してい
るクリスチャンは聖書が理解できなくなります。それが悪者の目的で
す。ところが「あの説」は人が後から作った説ということを知ってい
る人は、聖書と「あの説」を読み比べて、冷静な判断を下せます。 
 だから簡単に理解しないで熟慮した方がいいです。あの警察官の上
を行く賢い犯人グループでした。彼らの作戦に引っかからない方がい
いです。(この場合は、その扉が万一のとき自分らを助けてくれると
いうことを理解しない人の方が、敵の作戦に引っかからない強い人で
した。)