「残酷な金曜日」

 空はだんだん明るくなってきた。ヨハネは少しも眠くなかった。12
弟子で残っているのは自分だけだ。今日はユダヤ教の過ぎ越しの祭り
だ。毎年のように総督はその祭りに一人だけ囚人を赦免していた。
そのころバラバと言う有名な囚人が捕らえられていた。
 ピラトは祭司長たち指導者たちと民衆を呼び集め、こう言った。「
あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れ
て来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたが
たが訴えているような罪は別に何も見つからない。見なさい、この人
は、死罪に当たることは、何一つしていない。だから私は、懲らしめ
たうえで、釈放する。」しかし彼らは、声をあわせて叫んだ。
 「この人を除け、バラバを釈放しろ!」ピラトはもう一度、呼びか
けた。しかし彼らは叫び続けて「十字架だ!十字架につけろ!」と言
った。しかしピラトは三度目にこう言った。「あの人がどんな悪いこ
とをしたというのか。あの人には死に当たる罪は何も見つからない。
だから私は懲らしめたうえで釈放する。」ところが彼らは主張し続け
、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った
。ピラトは彼らの要求どおりにすることを宣告した。すなわち、暴動
と人殺しの罪で牢に入っていた者を釈放し、イエスを彼らに引き渡し
た。
 彼らは職人が木を削って作った十字架を主に背負わせた。ヨハネは
思った。なんて酷いことをするのだ、主は昨晩は一睡もしていないの
に、あんなに重い物を担がせるなんて。ヨハネは、このあと地獄を
見ることになることも知らずに。
 それから十字架刑の死刑場であるゴルゴダ(どくろという意味)まで
行く途中、主は担いでいた十字架が重すぎ、その場で倒れてしまった
。兵士が近くに誰か体格の良い人を探すと、一人いた。彼はクレネと
言う田舎から出て来たシモンと言う男だった。同行していた兵士たち
は何人かで主からシモンに十字架を無理矢理、担がせた。主は歩くの
が、やっとでフラフラしている。あんなに重い物を担げるわけがない
と、ヨハネは少し離れて後ろから歩きながら思っていた。
 他の二人の犯罪人も一緒にゴルゴダに向かって、引かれて行った。
ゴルゴダに着くと、まず担いできた十字架を下ろし、その上に犯罪者
は寝かされた。そして動けないようにロープで体を木に固定した。
 それからというものは、とても目を開けて見ていられなかった。
気の弱い人なら気絶してしまう。でもヨハネは気が強かった。音だけ
でも地獄だ。絶え間なく聞こえる金槌が釘を打ちつける金属音と、今
までに聞いたことのない人の泣き叫ぶ悲鳴。ああここは地獄だ。
 十字架に犯罪者を打ちつけると、それを建てた。体重がその釘づけ
られた手に架かると前より痛みが増し、これはもう人間の声でなく、
屠殺場で殺される動物の鳴き声だ、いっそのことすぐ殺された方が、
どんなに楽か知れない。健康な犯罪者は二三日生きているそうだ。
あまりの残酷さにローマ人には、この死刑の方法は取らないそうだ。
 時間は午前9時、犯罪者は主の十字架の左右の十字架に掛けられて
いる。その時、主は言われた。「父よ。彼らをお許しください。彼ら
は、何をしているのか自分でわからないのです。」ローマ帝国の兵士
は十字架の刑の見張りをしながら、呑気にくじを引いて主の着ていた
衣が誰の物になるか見ていた。主の十字架の傍には、イエスの母と母
の姉妹と、クロパの母マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。主は
母マリヤとヨハネを見て、母に「女の方、ここにあなたの息子がいま
す。」と言った。それからヨハネに向かって言った。「そこに、あな
たの母がいます。」と言われた。その時から、ヨハネは彼女を自分の
家に引き取った。
 民衆は傍に立って見ていた。ユダヤ教の宗教指導者たちも嘲笑って
言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者
なら、自分を救ってみろ。」兵士たちも主をあざけり、傍に寄って来
て、長い棒の先に付けた酸い葡萄酒を差し出し、「ユダヤ人の王なら
、自分を救え。」と言った。「これはユダヤ人の王。」と書いた木の
札が主の頭上に釘づけられていた。
 ヨハネは血の海の外側から、この光景を見ていた。主の頭には茨の
冠をかぶせられ、そのため顔には血の川が無数に流れている、主の体
には無数のムチで打たれた切り傷でいたる所から出血している。手と
足首に打たれた釘からは血が噴き出している。体中、血だらけだ。
 十字架に掛けられていた犯罪者の一人が主に悪口を言い出した。
「お前はキリストではないか。自分と俺たちを救え。」と言った。
ところがもう一人のほうが答えて、彼をたしなめて言った。「お前は
神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
我々は、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だが
この方は、悪いことは何もしなかったのだ。」「イエス様、あなたが
御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
すると主は言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは今日
、わたしと共にパラダイスにいます。」
 そのときすでに12時ごろだったが、大地が暗くなって3時まで続
いた。太陽は光を失っていた。3時ごろ、主は大声で、「エリ、エリ、
レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神、どう
して私をお見捨てになったのですか。」という意味です。(このこと
だけでも、「あの説」三つにまして一人の神の、間違えがわかる。)
 また、神殿の至聖所の幕が真っ二つに裂けた。主は大声で叫んで、
言われた。「父よ、わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、
息を引き取られた。