暖かく無関心なホッとする人(P君)3771話

19:20 D君は思った。(「失敗は成功の基」という言葉が心に響く。失敗して痛い目に合うと、それが心に刻み込まれ、次に同じような場面に出会ったとき、自然に前回失敗した体験を回避しようと体が反応する。(食物アレルギーはそのわかりやすい例だろう。)体は正直
だが、心はそうでもない。嫌な人と対面しなければいけない場面が多々ある。心は我慢して
対面する。恵まれた人は子供のころ、嫌なものは嫌と言って、その親もそのことを容認して
、アダルトチルドレンにならずに正常な反抗期を体験し、自我がだんだん成長すると思う。
(大人という言葉は大きい人。大きい人は(これは心が大きい人のことだと思う。)小さい人がぶつかって来ても、ビクともしない。(これは大相撲を見ればわかるように、弱い力士
が横綱にぶつかっても、横綱はビクともしない。(そんな心の強い人が本当の大人だと思う
。)そんな大人の人ばかりならいいんだけど、実際の世の中は心が子供の人ばかりだ。
 問題は子供のころ親に甘えられず、アダルトチルドレンになってしまい、その後、本当に精神的に大人の人と出会い、その人に二度目の子育てをしてもらえばいい。その人と出合う
ことほど価値あることはないだろう。話を元に戻すと「失敗は成功の元」だが、最初の親の
子育てが失敗だったと認める人は救いようがある。が子育てが失敗されアダルトチルドレンのまま大きくなってしまっているにもかかわらず、それを認めない人は精神的には子供のまま。そんな人の特徴がある。その人は本当の親にわがままを言っても受け入れられる、という体験がないので、誰に対してもよい人を演じなければ受け入れてもらえないと勘違いしている。(そんな人がダンプカーに近づきすぎ、その土砂を下ろすときの下敷きになってしまうんだろう。自分の周りにもそんな「善人は早死にする」というような人がいた。彼らは皆
神経が細い神経質な人だった。多分、子供のころ親に十分甘えわがままを言っても受け入れてもらえた人の神経は図太く、いい意味で鈍感だと思う。そんな人はあまりストレスを感じないと思う。なぜなら、最初に戻るようだが「失敗は成功の基」のように、失敗(わがまま
)をしても親に受け入れてもらえたという原体験があるから、「失敗してもいいんだ。わがままを言ってもいいんだ。」と思っているから失敗を恐れないで、他人に対しても本当の自分のままでいられる。他人に好かれようとして、いい人になろうとしない。失敗は若い時にしたほうがいい。そうすれば次回は同じ失敗はしない。それは心に刻まれているからだ。
若い時に失敗しないで、アダルトチルドレンままの人は心に失敗が刻まれていない。その
人たちはいつも他人の顔色をうかがっている。彼らはストレスが溜まるだろう。ダンプカーの下ろす土砂のそばに立っているんだから。
                                     つづく