創世記の重要性

 聖書に書いてある神様は、どのような方であるか知ることはクリスチャンの基本中の
基本です。そのことが、よくわからないと、どのような神様により頼んでいるのか、わからなくなってしまいます。まず大切なことは、創世記にどのような神様が地球や人間を
造られたかが書いてあるので、熟読することです。「初めに、神は天地を創造された。」
(創世記1-1)この神様ですが、聖書のコロサイ人への手紙1-15~18でパウロは
書きました。「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも王座も主権も、支配も権威も、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも
先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。~」
 またへブル人への手紙1-2~3では次のように書いてあります。「この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られましたました。神は、この御子を万物の相続者と
定め、また、御子によって世界を創造されました。~」
 ここでは、御子が万物(世界)を造られたとハッキリ書いてあります。それなのに、
使徒信条では、「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。~」と言っています。
これは聖書的ではありません。これは「あの説」を正当教義とした、ローマ帝国のローマカトリック教会で始まりました。残念ながらプロテスタント教会も、この使徒信条を聖書
に照らし合わせてから使うことを怠りました。「あの説」も創世記に照らし合わせてみないで、安易に正当教義にしてしまいました。「あの説」を創世記に照らし合わせてみると
片方は三つにまして一人の神、と三人(三つの心)だけど一人。片方は三人の神(三人の
人間に似た神は、それぞれの心を持っている。)と全然違う。大切な事は聖書に、