「我々のうちの一人」

 「人は我々の一人のように、善悪を知る者になった。今は、手を伸ばして命の木からも
取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」(創世記3-22)


ここで注目するのは 我々の一人のように と言う言葉です。これは数人いる人の内の
一人のように、と言うことです。この数人の姿は似ていました。この人達のように人は
(アダム、エバ)は善悪を知るようになってしまった。言い方を変えれば、人は神様に
近づいてしまった。
 一人の人が三つの異なった心を持っているでしょうか?そんな人はいません。
父なる神様、子なる神様、聖霊様も三人それぞれ異なった心を持っています。ですから
三つにまして一人の神(三つの異なった心を持った一人)と言う人は存在しません。
 ローマ帝国のクリスチャンでも何でもない皇帝コンスタンティヌスが昔、自分の名誉
の為だけに「あの説」をキリスト教の正当教義と決め、「あの説」を支持しない人を
クリスチャンと認めなかったことを、疑問に思わないで今も引きずっているに過ぎない
のです。その事を考えることは、聖書を熟読する姿勢で、そこをうやむやにした方が良い
はずはありません。創世記に聖書の基礎が書かれています。
 ローマ帝国は、とっくの昔に亡びたのです。