「福音書のリアリティーが消えた日」

 アタナシウスは頭を抱え悩んでいた。彼はローマ帝国の宗教を管轄
する責任者だった。彼はローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス1世の
出した提案に困りきっていた。皇帝は近いうちにローマ帝国の国教を
キリスト教にしたいと言う、無茶な提案を出してきた。だいたい皇帝
自身がクリスチャンでもないのに、どうしてそんなことをするのか?
ただ自分の名前を後世に残したいだけだろう。と思っていた。しかし
皇帝の言われたことは絶対しなければいけない仕事だと彼は割り切っ
ていた。彼はローマ帝国に所属する国々に、これから国教をキリスト
教にすることを伝えた。当時のローマ帝国の民の多くは、ヘレニズム
文化に親しんでいた。その結果、教会の内外にマリヤ像、ペテロ像、
ヨハネ像、十字架に掛けられたキリスト像などを置くことで簡単に
キリスト教の信者化できた、ヘレニズムの象徴ギリシャ彫刻のマリヤ
像などを置くことによって、民衆の心をキリスト教に向けさせた。
(この伝統が残っているので、今でもローマカトリック教会だと、
すぐにわかる。)
 だいたいの地域でキリスト教化できた。最後に残った地域に彼は
悩んでいた。それは彼の生まれ育った故郷エジプトだった。
 彼はエジプトのアレキサンドリアで生まれ育った。幼いころから、
エジプトの習慣が身に染みついている。彼は幼い頃のことを思い出し
ていた、年配の人たちは皆、太陽は神様だと言っていた。太陽には、
朝日の姿と、日中の姿と、夕日の姿がある。が三つとも同じ太陽だ。
と何度も言っていた。これを太陽三神と言い、エジプト人は皆、この
太陽神崇拝者だった。その人々をキリスト教化させるのは至難の業と
いうことを知っていた。彼らは絶対に太陽三神を捨てないだろう。
それならば逆にキリスト教の方が太陽三神に歩み寄ったらどうだろう。
と彼は思いついた。エジプト人に今のまま、太陽神崇拝者のまま、
キリスト教も付け足したら、受け入れてくれるのでは、ちょうど
キリスト教には父なる神様、子なる神様(イエス様)、聖霊様という
三人の神様が登場する、この三人は三つの違う姿だが本当は同じ一人
の神様ということにすれば、頑固なエジプト人もキリスト教の神様は
太陽三神の神様と姉妹のように似ていると思って、受け入れてくれる
のではと思いました。(アタナシウスはクリスチャンではありません
でした。当然、聖書を読んだこともありませんでした。)彼の意見に
激しく反対した、ローマ帝国政府の議員アリウス(聖書理解に優れて
いた)は裁判に負け、アタナシウスの提出した案(三位一体説)が、
裁判に勝ち(今の日本の政治と同じ、数の力で法案が可決するので、
正しい方が勝つとは限らない。)
 こうして聖書を読んだこともないノンクリスチャンによって、残念
ながら「あの説」が正式採用され、これならばOKと思ったエジプト人
はキリスト教を受け入れ、皇帝コンスタンティヌスの悲願だった、
「ローマ帝国の国教はキリスト教」が始まりましたが、それと同時に、
福音書でのイエス様のバプテスマの場面、ゲッセマネの園の場面そして
十字架の場面は「あの説」によってリアリティーを失いました。