「本来の性能を発揮しないエンジン」

 自動車に詳しい人なら知っているが、それをデチューンという。
わざとエンジンの出力をさげ、本当はもっとパワーのあるエンジン
なのに、わざとエンジンの出力を下げてチューニングしている。同じ
エンジンなのに何でそんなことをするのか? それは、その車に特徴
を持たせるためだと思う。
 なんでそんな話をするかと言うと、初期のクリスチャン(ヨハネ、
パウロ他)はAC313年以降のクリスチャンと比べてたくましく、ちょ
っとやそっとの迫害に屈しない強さがあった(ちょうど本物のダイヤ
のようにどんな荷重にも屈しない強さのよう)が、AC313年以降の
クリスチャンはクリスチャンとは名ばかりが多くなってしまった。
 その理由の一つにAC313年以降は迫害があまりないので、軽い気持
ちでクリスチャンになれた。(特にヨーロッパ)が、そのためか迫害
にとても弱いクリスチャンになってしまった。
 それで考えたことは、最初に書いたデチューンされたエンジンの事
です。二つとも同じエンジンですが、片方は、わざと本来の性能を
発揮できないようにチューニングされています。それは信仰の世界で
も似たようなことがあります。AC313年にクリスチャンは「あの説」
によってデチューンされ、へなちょこになってしまいました。でも
その事実を知ったクリスチャンは、デチューンされた原因の「あの説
」を取り除き、初期のクリスチャンのように強いダイヤモンドのよう
になれると思います。


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