「フィクションか?ノンフィクションか?」

 もし「あの説」を支持するなら、その人はイエス様がゲッセマネの
園で祈る場面はフィクション(作り話)だったと言っているのと同じ
です。こんな衝撃的なことは受け入れられないと思うかも知れないが
本当のことです。その理由を説明します。



 「あの説」は三つにまして一人の神ですので、父なる神様と
子なる神様(イエス様)は、いつも一緒で離れることがなく
同じ思いでいるそうです。



 聖書でゲッセマネの園で祈る場面では、父なる神様は天上にいて
子なる神様(イエス様)は地上にいて、その考えも正反対でした。


この二つは全く矛盾しています。この二つのどちらかを選ばなければ
なりません。「あの説」を持ったまま、ゲッセマネの園で祈る場面を
受け入れているとすれば、ゲッセマネの園で祈る場面はフィクション
(作り話)として軽く受け入れて、本気で本当にあったことと思って
いません。これは大変なことではないでしょうか?ゲッセマネの園で
祈る場面はイエス様が十字架に向かう決心をする最も重大な場面です。
ここでのイエス様の決断があったからこそ私たちの救いがあります。
 その場面をフィクションとして軽く見ることはクリスチャンとして
あってはならないことです。
 聖書の出来事は全てノンフィクションです。