「固定概念」

 人は客観的に見れば何でそんな事にこだわるのか?理解に苦しむ事が
時々あります。どうしてクリスチャンは一人の神にこだわるのでしょうか?
 創世記をよく読めば、神様は始めから三人(我々)存在していたことが
分かります。これは聖書に書いてあることで間違いありません。
新聖歌の「聖なる聖なる」と言う賛美歌の歌詞に~三つにまして一人の神~
という所があります。創世記を読んでいないクリスチャンでも、教会の礼拝
に出席すれば何時か、この賛美歌に接する機会があるでしょう。でも、この
曲は「あの説」に基づいて作られていて、その曲は聖書的ではありません。
多分この曲を作った人は、あまり聖書を読まなかったのでしょう。注意して
下さい。聖歌などの歌詞を書いた人は、聖書を書いた人とは根本的に違うのです。
聖書を書いた人に間違えはありませんが、聖歌などの歌詞を書いた人は間違える
ことがあります。しかし聖書をよく読んでいないと、歌詞の間違えに気づかず
その毒物を受け入れ、それが知らず知らずのうちに蓄積し、固定概念となって
聖書的でない「あの説」を取り除くのが大変になってしまいます。
 野菜に使う農薬は水でよく洗い流してから食べますが、聖歌などで歌う歌詞を
聖書的かどうかを確認してから歌う人は少ないです。