「1703年間、言い伝えられてきたフィクション(作り話)。」

 もし何か月でも人に作り話をされてきたら、いい気持ちはしない。
その間その話が本当のことだと思い行動してきた。でもそれが全部
嘘(作り話)だと分かった時のショックときたら。自分に作り話を
した人も、その話を信じていたかも知れない。善意だったかも知れな
くても、結果的に嘘をついたことになる。不思議なことに嘘が何百年
も伝えられると、それが本当にあったこと、と人は錯覚するらしい。
 今から1703年前のAC313年に、ローマ帝国のアタナシウスが
「あの説」を発表して以来、「あの説」が正当教義となってしまい、
その説が本当に正しいかどうかを考えることすら止めてしまった。
 アタナシウスが良い人でアリウスが悪い人のような報道がされてい
ますが本当はその逆です。以前このブログで書いた「アタナシウスの
真実」を是非ご覧下さい。アタナシウスに対する偽りの報道は、当時
のローマ帝国の悪巧みが現れています。
 ローマ帝国とは、どんな国だったか言うと都市国家であったローマ
が、しだいに他地域にまで拡大し地中海を統一しました。帝国の意味
は、広大な領域と多民族を支配する国家です。ローマ帝国はどんどん
大きくなり、周囲の国々を支配していきました。もともとローマ帝国
はギリシャ文化から発展しました。初代皇帝アウグスティヌスの時代
(在位BC27年~AC14年)にイエス様は生まれました。ローマ帝国は、
それからも大きくなっていき地中海の周囲の国々と、そこに住む民族
を支配したいという野望をいだいていた。ローマ帝国に所属する多く
の国々は、もともとギリシャ文化圏ですから、教会にギリシャ彫刻の
マリア像などを置くことで民衆の心をキリスト教に引き寄せました。
そしてクリスチャンになりました。
 問題は皇帝コンスタンティヌス(在位AC306~AC337)の時代です。
この時までローマ帝国は領土を拡大し続けました。が、あと一歩、
地中海沿岸で支配できない国がありました。エジプトです。
エジプト人は昔から太陽神崇拝者で太陽三神を神様だと信じています。
その民を支配して、ローマ帝国に取り入れるにはどうすべきか?と、
 そこで呼ばれたのがローマ帝国の宗教を管轄しているアタナシウス
でした。皇帝もアタナシウスもクリスチャンではありませんでした。
皇帝はアタナシウスと相談しました。「自分が皇帝の在位のうちに、
エジプトも支配して地中海沿岸の国々をローマ帝国にしたい。そして
ローマ帝国の国教をキリスト教にしたい。エジプト国民をキリスト教
化できないだろうか?君の力でうまくやってくれ。」とアタナシウス
は皇帝から直々に頼まれました。つまり、キリスト教を利用して頑固
なエジプト国民をクリスチャン化して、ローマ帝国を国教キリスト教
として、地中海沿岸の国々を支配しようという計画でした。
(このブログ「福音のリアリティーが消えた日」に続く)
 こうしてクリスチャンでも何でもない、二人によって「あの説」は
成立しましたが、一般的にはアタナシウスは正当なクリスチャンで、
アリウスは異端的なクリスチャンということになっていますが、ここ
にも皇帝コンスタンティヌスの悪い陰謀がありました。これは真実と
違います。何が違うかと言うと、アタナシウスの悪い噂が広まると、
アタナシウスが考えた「あの説」に協力する人がいなくなり、その結果
エジプトをキリスト教化できなくなるので、皇帝は事実とは異なる情報
、アタナシウスは正当なクリスチャンを流して、何とかしてローマ帝国を
自分が皇帝在位のうちにキリスト教国にしたい皇帝は、事実を捻じ曲げて
アタナシウスは良いクリスチャン。(彼はクリスチャンではなく、
太陽神崇拝者でした。)アリウスは悪いクリスチャン。(本当の彼は迫害
にも屈しない。「あの説」の誤りを訴え続けた熱血クリスチャンでした。)
政治的に「あの説」で選挙に勝てる体制を整えた皇帝は、このようにして
「あの説」を無理矢理に成立させました。
 こうして1703年間もの長い間、「あの説」は正当教義として
その真偽を確かめようとして近づく人を異端者として退け、いまだに
生き続けていますが、もし本当にそれが正当教義なら、どの角度から
調べても、何も聖書と矛盾がなく、堂々とできるはずです。それを逃げ回る
のは矛盾を指摘されると答えられないからです。しかし、それも終わりです。
「あの説」のベールが外され、その正体が明らかになりました。


(このブログ「アタナシウスの真実」も是非、ご覧ください。)