「三人のそれぞれの神をイメージする人」


 自動車には、アクセル、ブレーキ、それぞれ別の働きをするペダル
がある。アクセルとブレーキは正反対でも両方ないと困る。これが
もしアクセルかブレーキのどちらかが故障していたら、走っても
止まらないか、はじめから走らないかです。(車が一台でもペダル
は二つある。)
 初期のクリスチャンは「あの説」に迷わされていなかったので
ハッキリと父なる神様と子なる神様(イエス様)と聖霊様の三人の
神様は、それぞれ別の方で別の場所におり、考えも違う時もある。
(まるで車のように別の働きするペダルがあっても、それらが協力し
あって車を安全に走らせる。)
 考えてみてほしいペテロやヨハネやパウロの頭の中には「あの説」
など少しもなかった。
 AC313年に「今日から この説(三位一体説)をキリスト教の教理
に取り入れて周囲の国民と仲良くしてキリスト教を発展させよう。」
とローマ帝国のアタナシウスが言いました。アレキサンドリアの住民
は「じゃあ、今のままの太陽三神の信仰を持ったまま、キリスト教 
も 取り入れよう。」この人たちをクリスチャンと言えますか?
その時アタナシウスは何とかして、この人たちをクリスチャンに
しようと思ったのかも知れませんが、そこには大きな誤りがあります。
この人たちは太陽三神の信仰者です。そこに おまけ のように
キリスト教 も 付け足しただけです。その時できたのが「あの説」
(三位一体説)です。その後の、まともなクリスチャンに混乱を与え
ているだけです。
 「あの説」から離れれば初期のクリスチャンやペテロやヨハネと
同じ聖書の見かたができるでしょう。
 いくら「あの説」がローマカトリックの正当教義だとしても、その
教義自体に聖書的根拠がないのであれば、それは正当なことではない
ので、非正当教義と言わざるを得ないでしょう。天動説が正当教義
なので、みんな今日から、この説を信じるように。」と言われている
のと同じようなことです。でもガリレオが研究の結果「地動説」が
わかったようにクリスチャンも聖書をよく読めば「あの説」と聖書の
矛盾に気が付くでしょう。