暖かく無関心なホッとする人(P君)2819話

 3/16(土)午後4時、D君は会社の後輩唐沢からの、恋愛の相談話が一段落してホッとしていた。(これで唐沢も多分、失敗しなければ6/23のプロポーズが成功するだろう。)
これでD君は自分の研究テーマ(これは一生かけて研究する価値がある。)「なぜユダヤ人は罪のないイエス・キリストを死刑(十字架刑)にしたのか?」を追求できると思った。ユダヤ人が罪のないイエス・キリストを殺してしまったがために、異邦人に救いの
福音が伝えられた。もしユダヤ人がイエス・キリストを殺さなかったら、異邦人に救い
の福音はなかった。そう思えばまさに「災い転じて福となす。」のとおりだ。
D君は初めに戻って考えた。どうしてユダヤ人はイエス・キリストを殺したのか?それは
ユダヤ人は十戒の「あなたにはわたしの他に神があってはならない。」に従って、自分も
神だ。とするイエス・キリストをこの世から抹殺するしかない。と思い十字架刑にすることに突き進んだ。でもよく考えてみると、ユダヤ人が頼りにしている十戒は二回目の物で
オリジナルの最初の十戒石板にそこがどう書いてあったのかわからない。ヒントはある、
それは創世記によく出てくる「我々」と言う存在だ。父なる神様しか存在しないと思っているユダヤ人はこの「我々」と言う存在を無視している。でも創世記には列記としてこれが書いてある。この「我々」という存在が天地万物、アダム、エバらを創造したことが
創世記にはハッキリ書いてある。「我々」と言うからには、複数だ。多分3者。だから
万物の創造者は「我々」という3者だ。それならその中にイエス・キリストがいてもおかしくない。そんな理論がユダヤ人には通じなかったのだろうか?ユダヤ人は神は唯一と
いう潜在意識からぬけられなかった。そんなユダヤ人に命懸けで「そうではない。私も
神なんだ。」というイエス様の意見に彼らは耳を塞いだ。D君は思った。イエス様が
命をかけて「私も神なんだ。複数の神が協力して万物を創造した。」と言うことを聖書
から説明したのに、どうして「三つにまして一人の神」と神は一人ということにコダワル
のだろうか?三人の神のスピリッツは一つで十分ではないだろうか?一人の神にコダワル
のはユダヤ人に似ている。どうしてこだわるのか?D君にはわからなかった。
                                    つづく