暖かく無関心なホットする人(P君)2379話

 午前7時、聖書を読む時間だ。今日読むところはヨハネの福音書1章。
「初めに、ことばがあった。」D君はこのことばという意味が知りたかった。問題はここでは、ひらがなで「ことば」と書いてある。漢字の「言葉」ではない。何か理由があると
思い下段の小さい解説を読むと、「ことば」はキリストのこと。したがって「初めに」は
キリストの永遠的存在を意味する。とあった。次は「ことばは神とともにあった。」
つまりキリストは父なる神様と初から共に存在していた。次は「ことばは神であった。」
ここで見落としがちなのは「ことばは神とともにあった。」のともと言う部分だ。とも
に居たということは共存していて、ある人の隣に付き添い、ある人の外部にいる。決して一人ではない。もし父なる神の内に子なる神がいたなら、ともにいたとは書かないで、
(ことばは神の内側におられた。)と書いたと思う。父なる神様の心の内側にキリストが
いたなら、父なる神様の心の全てを知っていることになるから、当然キリストの再臨の
日時も知っているはずだが、実際はキリストの再臨時期をキリストは知らない。だから
キリストは父なる神様とともにはいたが内側にはいなかった。次に「ことばは神であった。この方(ここからは「ことば」でなく一人の人格者。)は、初めに神とともにおられた。」次は「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」D君は思った。「これはパウロがへブル人への手紙1章2~3節の「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」と同じことを書いている。またパウロはコロサイ人への手紙1章15~18節でも重ねて、父なる神様でなく御子が万物を創造し造られたことを書いている。重ね重ねこの事を書いている。これは重要なことだ。
ユダヤ教徒たちは父なる神が造られたと勘違いしている。父なる神様と御子(イエス様)は初めから共存していて、そのうちの御子のほうが万物を創造したんだ。だが使徒信条
では父なる神様が万物を造られたと書いているが、聖書には御子が造られた、と書いて
ある。これはいったいどういうことだ?」


                                    つづく